「愛された者は、愛する者に」10.12.26
ヨハネの手紙一 4:7〜21
<神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。>
クリスマスは、神の人間に対する大きな愛が起した出来事です。罪ある人間を見捨てることなく、なお愛し抜こうとされる神は、
独り子を人間の罪を取り除くいけにえとすることを決断します。クリスマスは、神の愛なしには起こり得ない事でした。
クリスマスに神の愛を味わった私たちに、聖書は語りかけてきます。<わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを
愛してくださったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を
愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。>神は、誰を愛することを願っておられるのでしょうか。神に愛され、
教会に召し集められている兄弟姉妹だけのことではありません。神は「世の救い主」として御子をお遣わしになられたのです。
また「隣人を愛しなさい」と教えてくださったイエスさまは、「隣人」を親しい者に限って考えてはおられませんでした。
代々の教会は、クリスマスに隣人を愛することを大切にしてきました。枚岡教会もホームレスの方々へのクリスマスプレゼント
(弁当・釜ヶ崎伝道所)に参加しています。救世軍の社会鍋や街頭募金活動をする教会もあります。いずれもクリスマスに示された
神さまの愛にお応えして、隣人を愛するための働きとして続けられました。また、クリスマスの物語には、小さい者を助けた人が、
主イエスに「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」
(マタイ25:40)と喜んでいただく話がいくつもあります(もう一人の博士、靴屋のマルチン、誰が鐘を鳴らしたか)。
普段、愛の欠けた世界ですごしている私たちですが、神の愛を知るこの季節に隣人や世を見直し、主に助けていただいて
愛せる者として一歩踏み出したいのです。その小さな一歩を、主は喜び応援してくださいます。