「その時にも神の働きかけがあった」 10.10.24
 創世記29:1〜35

 ヤコブという人は、神から「あなたと共にいる。あなたを守る。決して見捨てない」との言葉を受け、祝福された者
として歩んでいました。だからと言って、苦しみや悲しみが何もない生涯を送ったのではありませんでした。
 ヤコブは、叔父ラバンの所へ向かって、旅をしてきました。偶然立ち寄った井戸でラバンの娘ラケルと出会い、
ラバンの家に迎え入れられていきました。さらに、7年間の労働を結納金代わりとし、ラケルとの結婚の約束を
取り付けました。すべては順調に進んでいるようでした。神の祝福を感じたことでしょう。ところが、そこから話は
思わぬ方に展開し、辛く苦しい日々を過ごすことになります。ラバンは、ヤコブをだますようにして姉レアと結婚
をさせました。妹ラケルとの結婚のために、ヤコブは更に7年間の労働を課せられました。そのようにして
始まったヤコブの家庭は、偏愛や妬みのある悩み多いものになりました。
 ところが、悩み多いその家庭にも、しっかりと神の働きがなされていたことを聖書は描きます。神は、姉レア
に働きかけ、男の子をお与えになります。レアは、そのような神に心を開き信仰を与えられます。この時、
ヤコブ自身は、神の言葉を直接聞きませんでした。しかし、悩み多い自分の家庭に(レアに)神が働いて
おられることを、はっきりと見ました。荒削りの信仰者であるヤコブは、悩みの中でも神の働きかけを見出す
信仰の目を得、信仰が成長させられていきました。
 私たちもそのような信仰の目を必要としています。ちょっとした悩みに出会うと、そこに心を奪われ、
祝福を疑いたくなる弱さを抱えています。苦労に目を奪われていては、神の働きに気付くことができないでしょう。
悩みの多いこの世で生きる私たちには、悩みの時にも神が共にいて、働きかけてくださっていることに気付く
信仰の目が必要です。それが見えると、不安や恐れから離れ、救いに導こうとされる神のご計画に深い信頼を
寄せた、慌てない歩みが生まれてきます。