「喜んでいる人」10.10.03
マルコ2:18〜22
主イエスは、ご自分と一緒にいる弟子たちのことを、「婚礼の客」のようだとおっしゃいます。それは、花婿と
一緒になって、喜びを分かち合う親しい友人です。主イエスは、神の子であるご自分と一緒にいられる幸いに
身を置いている弟子たちのことを、婚礼の客のように喜ぶことこそふさわしい者たちだとおっしゃいます。
自分がそのような存在であることは、その頃の弟子たちも、周囲の人たちも、理解してはいなかったでしょう。
聖書によって、主イエスのことを知らされている私たちは、その頃の弟子たちよりも、主イエスと共にいられる
幸いを知らされています。神の子である主イエスは、私たちを罪と死から救い出してくださる救い主です。
私たちの罪を取り除くために、十字架にかかって死んでくださいました。三日目に死より復活し、死を無力
なものとしてくださいました。そうして、私たちを神の国の永遠の命に生きる者にしてくださいました。私たちが
「主イエスは救い主」と信じることで、主イエスは小さな取るに足りない私たちと共にいてくださるのです。
一緒にいてくださるのです。
このような幸いを知らされていながらも、普段の生活の中では、主イエスに脇へ退いていただいて、
主イエス抜きで生きようとすることがないでしょうか。時と場合によって、クリスチャンになる前の、主イエスと
一緒でなかった頃の生き方や考え方に戻ろうとする誘惑に出会います。揺れ動くことのある私たちに、
主イエスは布やぶどう酒と革袋のたとえを通して、「新しい生き方と古い生き方を混ぜてもうまくいかないよ」
とおっしゃいます。私たちは、主イエスと結ばれて新しく創造された存在です(Uコリント5:17)。古い自分を
残したままの歩みはうまくはいかないのです。新しい自分と古い自分をつぎはぎにした歩みは、かえって
混乱するでしょう。いつも、主イエスと一緒にある幸いに生きる者として、物事を見、考え、行う者で
ありたいのです。