「キリストを着る」10.08.29
              大嶋義太郎牧師
 ガラテヤ書3章21〜29節

 ◆第一に、私共はどんな人間かを話します。
 礼拝の中で十戒を唱和した後に黙想をします。本気で深く反省すれば、罪の支配下に閉じ込められている自分を発見して、
神様!助けて下さい、赦して下さいと叫ばないでは居られない罪人です。

 ◆第二に神様が私共にして下さった事を話します。
 厳しい律法は、私共を懺悔に導き、キリストに出会わせ、律法を廃止して、素晴らしい祝福の信仰に導く神様の逆説的な
愛の摂理であるのが明らかです。
次に、今日の主題の「キリストを着る」が出て来ます。26節に「あなたがたは皆、信仰により、洗礼を受けてキリストに結ばれた
あなたがたは皆、キリストを着ているからです。」とあります。黙示録に「大群衆が、白い衣を身に着けて神様を賛美」し。「この
人々の白い衣は小羊の血で洗って白くした」とあります。神様は、私共の罪を見ないで、この白い着物を見て、『貴方は、清く
白い、罪は無い者だ』と繰り返し宣言して下さるのです。

◆第三、私共が何をなすべきか。
29節に「あなたがたは、アブラハムの子孫であり、相続人です。」とあります。アブラハムは『福音の原点だ』と言われています。
それは、アブラハムが受けた祝福はキリストを通して全世界に与えられる約束だからです。神の国は、そして、永遠の命は
私共のものです。黙示録は「世の終わりの時、万物が叫びます。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/
世々限りなく私たちの神にありますように、/アーメン。」と告げています。私共の喜びに満ちた賛美を、全世界に広げて
行きましょう。