「父なる神を知る幸せ」10.08.22
ヨハネ 14:6〜14
私たちは、主イエスを信じることで、主なる神に深い信頼を寄せて生きられる者としていただきました。
神が支え、守り、導いていてくださるゆえに、何があっても揺るがない安心を手に入れています。
聖書は、主なる神が天地を創られた方だと教えてくれます。私たちは、天にある太陽や、雄大な自然を
礼拝するのではなく、それらをお創りになった神を礼拝し、そのような神の偉大さを讃美します。しかし、
そのような大きな存在の神が、小さな存在に過ぎず、しかも罪を抱えている私たちのことを、本当に心に
とめてくださるのでしょうか。
主イエスは、「私を見たものは父を見たのだ」とおっしゃいます。神の御子、主イエスのお姿、また私たちに
対する態度に、神の私たちに対する思いや態度が表されています。そこで、まずクリスマスの出来事を思い
起こします。クリスマスは、神の御子が人としてこの世に降って来られた出来事です。人が天上に登っていく
ことはできませんが、神の方からやってきてくださいました。しかも、無防備な幼子の姿をとってです。天の
軍勢を引き連れて力を見せ付けるのでなく、羊飼いや異邦人が訪問できたように、誰もが訪問できる姿を
とって降って来られました。神は、そのように、小さな存在の私たちに歩み寄ってくださる方です。
主イエスは、神から縁遠いと見なされていた罪人や病人に歩み寄り、罪を赦し、病を癒されました。神は、
罪人や病人を放っておかれない方です。そのことが、主イエスの十字架によっていっそう明らかになります。
人の罪を赦すために命を投げ出すのが神です。それほどまでに、人を愛し救いを願ってくださる神です。
「私は道である」とおっしゃいます。私たちはその方の所にいるだけでよいのです。神が、道を用意して
くださり、御国へ導いてくださるのです。道は、足元にあります。神は、私たちの足元から支えてくださる方
です。私たちは、神がそのようなお方であることを知らされ、信頼して身を委ねます。