「愛する友のために」10.08.08
 マルコ 2:1〜5
 
一人の人が主イエス・キリストと出会い、救われていくためには、クリスチャンの存在が不可欠です。
自分自身が主イエスと出会い、主を信じる者になっていった時のことを思い出してもそうでありましょう。
クリスチャンの家族や友人の誘い、支援、祈りがあって、主を信じる信仰の道が開かれていったはずです。
祈られ、心を注いでもらってクリスチャンになれた私たちですから、今度は人の救いのために祈り、
労する者であるべきです。
 中風の人を床に寝かせたまま、主イエスの所に連れてきた4人の男たちがいました。彼らには、人の救い
に労する私たちの学ぶべき姿があります。
 彼らは、主がおられる家に着きましたが、人が大勢で、家の中に入ることができませんでした。そこで屋根に上り、
屋根に穴を開け、そこから中風の人を床ごと吊り降ろして主イエスの側に連れて行きました。
 人を床ごと屋根から吊り降ろすのは簡単なことではありません。バランスを崩せば落ちてしまいます。4人の男たちは、
自分のことを考えず、意識のすべてを中風の人に向けなければうまくいきません。また、この時、屋根に穴を開けた
彼らに対して、人々は驚き、非常識を非難する眼を向けたことでしょう。けれども彼らは、自分が悪評を受けることも
厭いませんでした。彼らには、一人の人の救いにだけ心を集中していたからでありましょう。「自分のことはさて置き…」、
主イエスもそうでありました。主イエスに従う私たちもこのような思いをいつも心にとめておきたいのです。
 彼らには、主イエスに対する深い信頼がありました。「どうしても主イエスの所に!他ではダメだ。」そのように思って
いたからこそ、どんなことをしてでも主イエスの側に連れて行こうとしました。
 主イエスは、彼らの姿に信仰を見ます。そして、中風の人に声をかけられました。「どうしても主イエスと出会って欲しい」
と心から願う私たちの祈りに、主イエスが答えてくださらないはずがありません。