「子よ、あなたの罪は赦される」10.08.01
 マルコ 2:1〜12
 
主イエスがいた家に大勢の人がやってきて、主イエスの語る言葉を聞いていました。そこに、体の自由が
きかない中風の病人が、床に寝かせられたまま運ばれてきました。主イエスは、彼を見つめ、「子よ、あなたの
罪は赦された」とおっしゃいました。主イエスは、彼の心を見抜き、彼に一番必要な言葉を語られました。
 人が人として健やかに生きるのは、神が共にいてくださることを実感しながら、神に守られていることを疑う
ことなくすごしている時でしょう。ところが、人は、神と自分との間をギクシャクさせてしまう罪や神に対する負い目
(後ろめたさ)を持っています。それがあるままでは、神さまが共にいてくださることを実感できません。
罪や負い目を抱えたままでは、神が愛してくださっていることを疑うことはできても、信じることはできないでしょう。
見捨てられ、裁かれることを恐れる心で一杯になるからです。ですから、人には罪の赦しの宣言が必要です。
 中風の人は、病気が治ることを願っていたでしょう。しかし、病気の辛さだけでなく、暗雲が心の中に広がって
いたに違いありません。当時、病気になるのは罪が原因だといわれることがあったからです。「あなたの罪が
原因だ」といわれると、誰にでも思い当たることがあるものです。彼も、自分の罪を思い起こしたことでしょう。
「罪ある自分が、神に愛されるはずがない」そんな、罪から生み出されてくる暗い心を主イエスは見抜かれます。
そして、開口一番、彼に一番必要なことを語りかけてくださいました。「あなたの罪は赦される。大丈夫だ。
もう神に愛されることを疑う必要はない。安心して生きなさい。」彼は、病気の辛さを忘れて喜んだでしょう。
心から安心し、神の恵みを疑わないでよいという、勇気の源を手に入れました。
 神に愛され、守られていることを信じることができず、いつも疑いながら生きるというのは、とても辛いことだ
と思います。しかし、主の宣言と十字架の出来事を信じる私たちは、愛を信じて生きられます。