「執り成し」10.07.18
 創世記18:16〜33
 
「哀れみに胸を熱くする神」と表現されることがあります。この場面に描かれている神は、
そのように表現されるのにふさわしいお姿です。
 ある時、神は御使いを従えて、罪が非常に重いソドムの町に行こうとしておられました。
神は、そのことをアブラハムに告げます。神は、予告なしに裁きを下し滅ぼしてしまうのではなく、
しばしば預言者を通して前もって人にお知らせになります。預言者たちは、神さまの裁きを伝え、
悔い改めるように迫りました(ヨナ書)。どうして、予告なしに裁きを実行されないのでしょうか。
神は、滅びを願っておられないからです。滅びよりも、悔い改めることを願っておられるからです。
この時、神は黙ってソドムに向かうのでなく、アブラハムにソドムのことを告げました。それによっ
て交渉の糸口が開かれました。そこにも、滅びを願ってはおられない神の心があります。
 アブラハムは、神に申し出ました。「ソドムの町に正しい者が50人いても滅ばされるのですか。
50人の正しい者のために、町をお赦しにならないのですか。」この申し出が「正しい者を一緒に
滅ぼすのでなく助けてあげましょう」というのであれば分かりやすいのです。しかし、「正しい者の
ために町を赦すべきです」との申し出はおかしな感じがします。しかし、その申し出を拒むことなく
交渉を続けていかれたのです。人数を巡ってアブラハムとの交渉は続き、「正しい者が10人いれば
町を滅ぼさない」とおっしゃいました。アブラハムは交渉を続けながら気付いたでしょう。人数でなく、
正しい者がいれば、神はその者のために滅ぼされないということをです。残念なことに、結局は
ソドムの町は悪ゆえに滅ぼされてしまいます。正しい者がいなかったからです。しかし、神は、
時が満ちたときに、正しい方主イエスを送ってくださいました(ヨハネの手紙一2:1-2)。哀れみに
胸を熱くする神は、世を、そして私たちを、一人の正しい者によって救いたいと願われたからです。