「バベルの塔」10.05.23
創世記 11:1〜9
過ぎ越しの祭りから50日たったペンテコステの日に、集っていた弟子たちのところに聖霊が降りました。
聖霊なる神さまはそのようにして、彼らと共にいようとし、彼らを支えようとされました。聖霊を受けた
弟子たちは、主イエスの十字架と復活の救いを語り始めます。聖霊を受けた彼らの言葉は、それを聞く
人たちに届く言葉となりました。
バベルの塔の物語の結末は、人々の言葉が通じなくなったというものでした。その原因は、自分が神の
ようになろうとする人々の罪の心にありました。自分が人の上に立ち、自分の思うとおりに生きたいと考える
人の言葉は、互いに通じなくなりました。そのバベルの塔のような状況は、私たちもしばしば経験することです。
家族の間で、職場等の人間関係の間で、またこの社会と自分との間で、言葉が通じないもどかしい経験をします。
「空しい言葉を発してしまいました。/人を傷つける言葉を。…/清く澄んだ朝の空気を汚染する煤煙のような
言葉を恥じています。/神さま、あなたから言葉をいただかなくてはなりません。…/聖霊によって、私たちを
あなたに深く出会わせてください。/そして、主よ、隣人に届く言葉を与えてください。」(『信徒の友』)と祈る
ような思いになります。
ペンテコステの日に、聖霊を受けた弟子たちは、主イエスの十字架に込められた愛の大きさを、深く知り
心が震えたことでしょう。聖霊は、主イエスの十字架に込められた神の愛の大きさに気付くように、
働きかけるからです。そして、愛されていることを知った彼らの言葉は、愛を伴う言葉となりました。
神の愛を受けている者は、今度は自分も人を愛そうとし始めるからです。その時、言葉が整えられ、
届く言葉となりました。神さまは、聖霊を受け、聖霊の導きに従って生きようとする私たちに、愛、喜び、
平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という霊の結ぶ実(ガラテヤ5:22-23)を与えようとしておられます。
そして、私たちの言葉や歩みを整えてくださいます。