「主イエスは復活された」10.04.04
 ルカ24:1〜12
 
人は、死ではなく永遠の命に向かって進んで行くことができることを、イースターには知らされます。
 最初のイースターの日の朝、女性たちが主イエスの葬られた墓に行きました。しかし、
そこに主イエスのなきがらはありませんでした。天使は、彼女らに「主イエスは復活なさった」
と告げました。
 十字架の上で死んで墓に葬られたのですから、そこに閉じ込められているはずでした。死者は、
墓の中で、死の支配下にあるはずでした。女性たちも、主イエスの弟子たちも、すべての人もそう
信じていました。しかし、当然と思われていたことが崩れてしまったのが、イースターの朝の出来事です。
 当時の墓の入り口は、石でふたをしました。それが転がされていたことを、どの福音書も告げています。
それは、死人を墓に閉じ込める死の力をあらわす石が転がされてしまったことを、死の力が打ち破られた
象徴としてみているからでしょう。死に風穴が開けられたことで、死の先があることが明らかになりました。
 海外では、イースターと春の訪れの喜びを重ねて祝うようです(北半球の温帯地域のみですが)。
厳しい冬の間は、枯れたような死の世界です。しかし、春が来て森や草原が芽吹き、命が吹き返した
ような世界になります。礼拝堂のイースターツリーには、ネコヤナギが用いられます。茶色く枯れたような枝から、
緑の若葉が出てくることが、死から命に進む復活を象徴するからです。固い殻を破って命が生まれる卵も、
墓が破られ命が生まれる復活を象徴します。イースターを祝う私たちは、死ではなく命に至る事を喜ぶのです。
 「わたしを信じる者は死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)と言われます。主イエスを信じる私たちは、
洗礼によって主イエスと結ばれています。主に結ばれた私たちは、復活の命にもあやかる者
ローマ6:3-5)であり、命に至る者とされています。ですから、どんな時も希望を失いません。
「夕べになっても光がある」(ゼカリヤ14:7)ことを知っているのです。