「平和の王」10.03.28
 ルカ19:28〜44
 
主イエスは、真の王として、私たちを治め、養い、敵から守ってくださる方です。人は、
自分自身を正しく治めることはできません。ですから、神ならぬものに支配されるのでなく、
罪や欲望に支配されるのでもなく、主イエスを王とすることが、人には必要です。
 棕梠の主日にエルサレムの都にやってきた主イエスを、人々は王のように迎えいれたと、
聖書は描きます。この場面に、王さまとしての主イエスの姿が映し出されています。この時、
弟子たちが神を讃美した言葉(38)は、主イエスの誕生を告げる天使の言葉に通じます
(2:13-14)。天使が救い主の誕生の際に口にした讃美を、この時に弟子たちが口にします。
王である主イエスは、救い主としてエルサレムに来られたからです。
 最初に、主イエスを王として見抜いたのは、クリスマスに東方から来た占星術の学者でした
(マタイ2:1〜)。その際、ヘロデ王も登場します。ヘロデは自分の身を守るために、幼子たちを
虐殺しました。人間の王は、しばしば力を自分のために使います。しかし、救い主としての王は、
王の力を、自分でなく人を救うために行使します。人の命を奪うのでなく、自分の命を献げます。
学者たちは、主イエスに、死の備えのための没薬を贈り物としました。命を献げる王であること
を見抜いたからでしょう。
 主イエスは、ろばに乗って来られました。「あなたの王がロバに乗って来る」とゼカリヤが預言
した通りの姿です(ゼカリヤ9:9)。どうしてろばに乗るのでしょうか。ろばは、たくさんの荷物を
黙って運びます。救い主である王は、私たちの重荷を、私たちの罪を、私たちの代わりに
背負って十字架に向かわれる方だからです。また、ろばは人も背負って運びます。私たちが
弱って動けないような時には、抱えるようにして運んでくださる方だからです。
 私たちの王は、柔和ではありますが、弱々しくはありません。罪と死を倒して、私たちを
ご自分のもとに奪い取ってくださった、勝利の王です。