「天が裂けた」10.03.21
 マルコ1:1〜11
 
うまくいった喜びの時も、寂しさや疲れによって力の出ないと時も、病気の時も、
下を向くのではなく、上を向いて天の神に目を向けながら生きていくことができるのが、
私たちクリスチャンです。どんなに八方塞のように思えても、天の神とのつながりは
閉ざされていません。ですから、どんな時も天に向かって祈り、天からの助けをいた
だけることを信じています。
 マルコによる福音書で最初に主イエスが登場するのは、悔い改める罪人たちの所でした。
自分の罪を認め、洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受ける人たちの所に、主イエスは
おいでになり人々と同じようになって悔い改めの洗礼を受けられました。そこが神の子、
イエス・キリストの生涯の出発点です。
 主イエスが洗礼を受けられた時に、天が裂けて、天から霊が降り、「あなたはわたしの
愛する子」との言葉が向けられました。主イエスの生涯の目的は、悔い改める人々を救う
ことです。それは、この場面で主イエスに起こったことが、主イエスだけに限定されること
でなく、主イエスを信じる者たちにも起こるようにすることです。主イエスを信じる者に天が
開かれ、霊が与えられ、「愛する子よ」との言葉が向けられることです。主イエスは、
ご自分の周りにいる人たちが、天との繋がりの中で生きられるようになることを願いながら、
その歩みを踏み出していかれました。
 主イエスが十字架で死なれた時に、「神殿の垂れ幕が裂けた」とあります(15:37-38)。
神殿の垂れ幕は、聖なる神と罪をかかえる人間が隔てられていることのしるしでした。
しかし、主イエスの十字架によってそれが裂かれました。神の子イエス・キリストが十字架
に人のすべての罪を抱えていかれたので、人の罪が取り除かれてしまったからです。
神と人を隔てる垂れ幕は不要となったのです。主イエスの生涯の目的が実現されました。
それによって、悔い改め、主イエスと共にいる私たちにも、天は開かれたのです。
「わたしの愛する子よ」との言葉が届けられたのです。