「聖なる生活」10.03.14
テサロニケ一 4:1〜12
主イエスは、十字架に向かって進んでいかれました。人の罪を取り除き、人を滅びから救い出すためにです。
その主イエスの十字架によって救われた私たちのことを、聖書は「生ける神の神殿」と呼び、神から「わたしは
あなたの間に住み、巡り歩く。」と語っていただける者とされたと言います(Uコリント6:16)。神の神殿のように
尊い存在で、神が一緒に住むようにして共に生きていてくださる存在だと言われるのです。
神のものとされた「聖なる者」として生活する私たちは、私たちを愛してやまない神に応えて、神に喜ばれる
生活をしようと志します。十戒によって、神に喜ばれる生活が教えられています。「神を愛しなさい。隣人を自分
のように愛しなさい」と、主イエスは教えてくださいました。また、教会の発行する書籍などを通して兄弟姉妹の
証しや働きを知らされます。自分自身の、神さまの愛に応える生活の仕方を考え、整理し、身につけていくこと
は大切なことです。
「神に喜ばれる生活」は、教会だけのことではありません。教会にいる時だけ聖なる者として生活するのでは
ありません。私たちは、毎日、生きる時も死ぬ時も、職場でも家庭でも、神と共に生活をしています。礼拝で
祝祷を受ける私たちは、礼拝から家庭、職場、社会の只中に聖なる者として派遣されていくのです。しかしながら、
生活の場は、神に喜ばれることを求めることのない世界であり、さまざまな誘惑があふれている世界です。
主イエスでも誘惑に遭われました。「誘惑に負けない強さを求める前に、自分のうちにある罪(誘惑への弱さ)
を警戒する謙虚さをも持つべき」と言われることもあります。「神が私たちを招かれたのは、…聖なる生活を
させるためです」(7節)と言われます。神は、私たちを支え、導くおつもりなのです。そのために、聖霊を与えて
くださいます。その神に身を明け渡していくならば、誘惑でなく、聖霊による勇気と力と知恵が必ず与えられます。
聖なる者としての生活が生み出されます。