「神の平安につつまれる」10.02.28
フィリピ 4:4〜7
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4節)と、聖書は語りかけてきます。
クリスチャンはいつも喜んでいられる者に変えられているからです。「常に」と言われますように、
これは一時だけのものではありません。日常生活の中で出会う物事がうまくいくとか、問題が
解決するといったものではなく、「永遠の喜び」といえるような喜びです。「主において」とあります。
「主にかかえられて」「主につつまれて」という言葉です。私たちは、そのような喜ばしい状況に
身を置いています。これは生きている時も、死ぬ時も変わらない幸いであり、喜びです。
主イエスを信じ、主に身を託す私たちは、主につつまれ、抱えられるようにして生きる者です。
母猫が、母猫に身を託す子猫をくわえて運ぶように、主が、主に身を託す私たちを抱えてくださ
います。私たちに心を注ぎ、愛してくださいます。そして、主にかかえられている幸いと平安は、
私たちを離れません。
そのような喜びの中にある私たちは、主イエスの広い心を痛感します。私たちが主にある者と
なれたのは、主イエスが、罪をかかえ主に背いていた私たちを、広い温和な心で、諦める事無く
熱心に招き続けてくださったからです。その主イエスの広い心を知るゆえに、私たちも隣人に
対して、忍耐強く、焦る事無く、救いを願い続けることができるのでしょう。
また、主において喜ぶ私たちは、思い煩いからも解き放たれます。フィリピの教会の中にも
さまざまな問題はありました。人間関係の問題もありました。それらに対する解決の努力を
した後は、自分を治めてくださる主イエスにおいて道が開かれていくことを信じ、主イエスに
託していきました。主が愛を注いで抱えてくださっていることを信じるゆえに、思い煩いでなく
平安が与えられます。また、主イエスが、問題の源となる人たちのこともしっかり包み込んで
おられることを信じるゆえに、思い煩いでなく、問題をかかえる隣人のことを祈り、支える心が
与えられます。