「信仰、愛、希望」10.02.14
テサロニケ一 1:1〜4
「神に愛されている兄弟たち、あなた方が神から選ばれたことを、わたしたちは知っています」と、
聖書は語りかけてきます。教会のことが「父なる神と主イエス・キリストに結ばれている」と言われます。
「結ばれている」は、「中にある」という意味の言葉です。神は、教会に招きいれられている私たちを
愛し、私たちを抱え込むようにしてご自身の腕の中に入れてくださいます。時には前を先導し、
時には後方を守り、時には下から背負うようにして担い、時には上から覆いかぶさるように保護し、
四方から包み込むようにしてくださる方です。自分がそのような存在とみなされていることに、
気づいていないことがあるかもしれません。また、あまりに大きな恵みで、信じられないのかも
しれません。しかし、「神に愛されている兄弟たちよ」と、聖書は今日も語りかけてくるのです。
そのような神の愛にお応えする生活が、3節に示されます。「信仰による働き」は、神さまの愛
にお応えする働きです。人は、何かの働きをすることで救われるのではなく、主イエスを救い主
と信じる信仰によって救われます。けれども、その救いの恵みと、神に愛されていることを知る
ならば、じっとしていることはできません。信仰による働きの場へと、押し出されていくことで
しょう。選び出されて教会の一部として迎え入れられているのですから、おのおのに必ず働き
が与えられています。それを見出すことは大切です。
「愛のための労苦」とあります。愛する相手のために労苦することはいとわないものでしょう。
神を愛し、主イエスを愛する者として、神のための労苦をする者でありたいと思います。自分の
ためだけでなく、主のために生活する、献身の心を深めていきたいのです。
「希望のある忍耐」とあります。終末に主が再びこられることを信じる私たちは、希望を失い
ません。この世界を罪が支配しているように見えても、それが永遠でないことを知っています。
私たちの忍耐は、失望に終わりません。終わりの日の希望に続くからです。