「信仰を盾として」10.01.17
エフェソ6:10〜20
クリスチャンとしての生活を進めていく上での指針となるのは、何よりも聖書
そのものです。ただ、それを補うための信仰書もたくさんあります。私たちの
教団で発行している月刊誌『信徒の友』でも、信仰生活に必要な学びがあり
ますし、諸教会の様子から刺激や祈りの課題を与えられます。
また『信徒必携』も、クリスチャンの物の見方、考え方を示してくれます。
これらによっても、聖書の示す信仰生活をより具体的に考えていくことが
できます。私たちの教団で発行しているものですから、参考にしましょう。
聖書は、誘惑する者(悪魔)との戦いのある私たちに「神の武具を身に
付けなさい」と言います。それはどのようなものでしょうか。第一に「真理」です。
真の真理である主イエスによって与えられた救いの内容といえるでしょう。
キリスト教の内容は豊ですから、一言にまとめて説明するのは難しいかも
しれません。しかし教会には、聖書に記された真理をまとめた
「日本基督教団信仰告白」があります。悪魔は「あなたの罪が赦される
はずがない。救われるにふさわしい行いをしていないではないか」と囁き、
誘惑します。しかし「神はただ、キリストを信じる信仰により、我らの罪を
赦して義としたもう」と信じるのが私たちです。また、この信仰告白を信じる
者が、互いに真理の帯を締めあうのが教会の交わりです。
第二の「正義」のひとつは、神の喜ばれることです。「もっとも小さい者の
一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25章)の言葉の
ように、主イエスに向かうようなつもりで、周囲の人に向き合う生活に、
悪魔の入り込む余地はありません。
伝道すること、神に信頼する信仰に立ち続けること、そして「救いの兜を
かぶる」ように言われます。私たちは、救いの兜を捜す歩みをするのでは
ありません。もう救いの兜を身に付けた者として歩むのです。また、
「神の言葉」を身につけるためにも、礼拝や聖書研究会など、
み言葉に触れる機会を大切にするのです。