「何を身に着けるのか」10.01.10
 エフェソ6:10〜20
 
教会の聖書日課で、ヨブ記を読み進めております。そこには、ヨブという人が財産
も家族も失い、自分自身も酷い病気に苦しむという大きな苦難に出会いながら、
それでもなお神を信頼し続ける信仰を保つために格闘する、信仰の戦いが描か
れています。私たちひとりひとりも、地上の生活を送りながらクリスチャンとして
生きていくために、信仰を保つための様々な戦いを続けていることでしょう。
 聖書は「悪魔の策略に対抗して立つことができるように」と語りかけてきます。
信仰生活を悪魔との戦いのイメージで考えることは、余りないと思います。
しかし、主イエスが「試みに遭わせず悪より救い出だしたまえ」と祈ることを
教えてくださったように、信仰生活の中で悪魔の誘惑に出会うことはあるのです。
 悪魔というのは、何かの姿を持つ化け物というより、人を神から引き離すもの
のことです。神を信じ敬うのでなく、神を疑い軽んじるように人を誘うのです。
そのために、悲劇を用いることもあるでしょう。大きな悲しみによって絶望感を
与え、神への信頼を失わせようとします。逆に物質の豊かさによって、神抜き
で生きられるとの錯覚を与えて、神さまを軽んじさせようとします。現代社会は、
後者を中心とした悪魔の策略に迷わされてしまっています。
 信仰を保つ戦いにおいて心にとめることは、「主に依り頼み、強くなる」ことです。
主の強さであって、自分の強さではありません。私たちは、自分の信仰生活を
振り返るならば、自分の弱さを痛感するしかありません。信仰を保つことができて
いるのは、主が支えてくださったからに他なりません。心おごることなく自分の
信仰の弱さを認める時に、神の力を必要とする自分であることを知ります。
そこで、主に依り頼む生き方が生まれます。戦ってくださる主に信頼しつつ、
信仰を揺り動かそうとする悲しみや豊かさに向き合うのです。その様な
私たちに「勇気を出しなさい」との主の言葉が向けられます。