「互いに仕え合いなさい」09.11.15
 エフェソ5:21〜33
 
「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」(21節)これは、
夫婦に対する聖書の勧めの言葉です。夫婦が互いに仕えあうことを、
クリスチャンは大切にします。しかし、近年、互いに束縛しあわないことや、
相手の干渉を拒むことを公言する夫婦があります。それは「二人は
一体となる」(31節)という聖書の結婚観と一致しません。
 「人に仕えること」は、夫婦の間にとどまりません。主イエスは、弟子たちに
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上に
なりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく
仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために
来たのと同じように。」(マタイ20:26-28)とおっしゃいました。主イエスに
従うものは、夫婦に限らず人に仕えるものとして歩みます。主イエスが、
人にお仕えになったのと同じようにしてです。
 主イエスを救い主と信じる信仰によって、主イエスの体の一部とされ、
主イエスと一緒に生きている私たちにとって、人を見下し、人を僕として
自分のために利用しようとする生き方は苦しいものです。主イエスとの
お姿との違いを抱えることになるからです。それとは逆に、人に仕え、
人を愛する生き方は心地よいことです。
 主イエスの私たちへの愛は、私たちを仕え、愛する生き方へと押し出
してくれます。人に仕えても、相手が反応してくれるとは限りませんが、
主イエスは、私たちが気付いていない時に、仕えてくださった方です
(ローマ5:6-8)。そのような愛を知る私たちにとっては、相手の反応に
よって仕える気持ちは左右されません。人に仕え、人を愛する生き方の
原動力は、相手ではなく、自分に対する主イエスの愛だからです。毎週の
礼拝で、「私があなたを愛し、あなたのために仕える」との言葉を聞くことで、
私たちは仕え、愛するための力を与えられながら進みます。