「喜びの歌のある生活」09.11.08
エフェソ5:15〜20
私たちは、クリスチャンとして、光の子らしく歩みたいと願っています。主の御心に
適い、主に喜ばれる生活をしたいと願っています。しかし、どうすることが光の子
らしい生活なのか、分かりにくいことが多いのです。いや、分かってはいても、
その通りに生きることが難しい場合が多いのです。私たちの生活には、色々な
事情が複雑に絡み合っているからです。
礼拝に出られない仕事を続けていくべきか否か。盗難の被害に遭った時に、
赦そうとする心をどうしたらいいのか。トラブルに巻き込まれた時に相手の
不誠実な態度にどう対応すべきか。そのような課題に直面している方々が
いました。私たちが生かされている状況は、ひとりひとり違いますから、すべての
人に当てはまる答えはないでしょう。しかし、どの方も、一生懸命に祈りながら、
主の御心を尋ね、主からの知恵を求めていかれました。そして、主の前に決断
をしてご自分の歩み方を定めていかれました。
<あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなく
とがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く
海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりま
せん。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。>(ヤコブ1:5-8)
そうやって、主からの知恵をいただき決断した歩みは、一人の歩みでは
ありません。主イエスも共に歩んでくださっていることを信じられます。そこに
安定した歩みが生まれます。
クリスチャンは、いつも主をほめたたえ、感謝をして歩みます。主イエスの
十字架を見つめて歩むからです。十字架の上から「あなたの救いは
成し遂げた!もう大丈夫だ。」とおっしゃる主イエスの言葉を聴きながら歩む時、
感謝の思いが溢れてきます。歩みを進めていく力が与えられます。この世の
課題に向き合う勇気が与えられます。