「光の子として」09.11.01
 エフェソ5:6〜20
 
「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」
と、聖書は告げます。以前とは180度違う存在にされているというのです。
主イエスを信じるクリスチャンとして生き始める前は、暗闇の存在でした。
神に向いていない不従順な姿。過ちと罪を重ね、神の怒りを受けるしかない姿。
それは神の光に照らされていない暗闇です。
 そのような存在が、光に変えられたのです。自分たちが何かをしたからでは
ありません。ただ神の愛によって、主イエスの十字架によって変えて頂いた
のです。
「光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにして
くださった御父に感謝するように。御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、
その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子に
よって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」(コロサイ1:12-14)と
言われる通りです。また「この福音の希望から離れてはなりません」
(23節)とも言われます。
 エフェソのクリスチャンは、闇ではなく光の子として歩むための苦労をした
でしょう。日本のようにクリスチャンが少ない社会で、誘惑を受け、揺れ動く
信仰との戦いがあったでしょう。家庭で、職場で、社会で、神に従順であろう
としても、不従順な者からの影響を受けます。誘いを受けます。クリスチャン
の生き方に対する無理解の中で、苦しんだでしょうし、厳しい戦いがあったに
違いありません。誘惑に迷わない者もいたでしょうが、迷う者もいたでしょう。
そして、自分を責める者もいたでしょう。光の子として歩むことは無理だと
いって、開き直ってしまう者もいたかもしれません。日本のクリスチャンの
状況にも似ています。
 そんな者に「あなたがたは、今は、光となっているよ」と語りかけるのです。
自分の弱さでなく、主イエスに照らされている自分を見るのです。
光を疑わないのが光の子の歩み方です。この事実に励まされて、自信を持って、
弱くても一歩を踏み出していくのです