「愛のある人」09.10.25
ルカ10:25〜42
神を愛することと、隣人を自分のように愛することが、神の民とされ、永遠の命を
受け継ぐ私たちの生き方です。キリスト教が初めて日本に伝えられた16世紀に
は、「愛」という言葉の代わりに「御大切」という言葉が使われていました。
「神を何よりも大切にする。人を自分のように大切にする。」愛するというときに、
思い巡らせたい言葉の一つです。
神を愛する者の姿として、イエスさまの足元でイエスさまに聞き入るマリアの姿
が描かれています(38-42節)。姉のマルタも、主イエスを大切に思うからこそ、
一生懸命に接待をしていたのでしょうが、多くのことに思い悩み、心を乱して
いました。必要なことは、すべてのことを脇において、何よりも主イエスを優先し、
主イエスの言葉に聞き入ることでした。
「自分を愛するように」と言われます。自分を愛するというのは、自己中心に
甘やかし、欲望のままに生きることではありません。それは、自分を大切に
するどころか、滅びに進ませています。私たちを真に愛してくださるのは、
主イエスです。主イエスが罪ある私のために十字架にかかって死んでくださり、
罪ゆえの滅びから赦しによる永遠の命へ移し変えてくださいました。命を捨てて
でも救いたいと、願ってくださいました。主イエスからそのように愛されている
自分であると知るならば、自分を大切にせずにはいられません。主イエスの
愛を受けている自分として、倒れた旅人の話(30-35節)を聞くならば、
倒れていた罪人の自分の前を通り過ぎることなく、手を差し伸べ救って
くださった主イエスの働きかけに気づくでしょう。自分がこのように愛されている
ことを知るのは、マリアのように主イエスに聞き入る礼拝においてです。
神を愛し、主イエスに聞き入るのは、私たち自身が愛されている自分を
発見できるためです。その時に、人を愛する生活が始まります。主イエスの
「さあ、わたしと一緒に行って、あなたも同じようにしようではないか」との
呼びかけを聞きながら、生活をするのです。