「背中を見ながら」09.10.18
エフェソ5:1〜5
キリスト教に関係する物語には、「愛」をテーマにした美しい物語がたくさん
あります。この秋新刊の「天使と靴屋」という絵本を見ました。原作は
「人は何によって生きるか」(トルストイ)です。神に背いた天使が地上に
落とされ、神から出されたいくつかの問題の答えが分かるまで帰って
くるなと命じられ、その答えを探す物語です。冬の日、地上に落ちて
裸で佇む天使の前を、靴屋は一旦通り過ぎます。しかし、「これは良くない」
との心の声を聞いて天使のところに戻り、彼を家に連れて帰ることにします。
妻は、得体の知れない天使を追い出そうとしますが、夫から「お前の心には
神さまはいらっしゃらないのか」と問われ(Tヨハネ4:16)、優しい心を思い出し、
天使の世話をすることにします。天使はそれを見て、「人の心の中には何が
あるか」との問題の答えは「愛がある」であることを知ります。そして、後に残り
の問いの答えも見つけて天使は天に戻るという物語です。これは、人間賛歌の
物語ではなく、キリスト教を前提にした話です。罪を抱える人間の中に
「愛がある」などと簡単に言うことはできません。しかし、クリスチャンとして
神の愛を受けている人は、愛を手にすることができるでしょう、という勧めの
物語だと思います。聖書は、「キリストが私たちを愛して、十字架にかかり
ご自分の命をすててくださったように、あなた方も愛によって歩みなさい」
(2節)と語りかけてきます。
しかし、靴屋やその妻のように、神の愛を見失い、同時に人を愛する心を
見失うことの多い私たちでしょう。そんな私たちに、「それよりも感謝を表しな
さい」と語ります。クリスチャンは神さまに感謝することにいつも包まれて
います。主イエスの十字架という、命をかけた救いの中で生きるものと
されているからです。この主の愛は、私たちを捕らえ、決して離しません。
ですから、たとえ、困難や悲しみに直面していても、感謝のない絶望の中で
生きることはありません。主の愛に対する感謝は、愛する心を生み
出します。