「愛は忍耐強い」09.07.26
 ルカ19:1〜10
 
<愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、
すべてに耐える。>(コリント一13:4〜7)このような愛を、神は私たちに
注いでくださいます。神の愛は、私たちの態度や状況によって変わる
ことはありません。神は、人を愛することを止めず、人を見捨てず、
この愛を注ぎ続けます。
 人は、罪を抱えています。神に背を向けて、神に従うことなく生きている
罪です。それは、神からすれば、耐え難いことです。裏切られたと感じる
ようなことであり、愛することを妨げるものです。ところが、神は、罪を抱える
人を愛するのをお止めになるのではなく、人の罪を取り除いて、人をなお
愛し続けようとされました。そのために、主イエスを十字架におかけに
なりました。神の独り子の十字架によって、人を愛し抜く道を確保なさいました。
 ザアカイは、主イエスと出会いました。ユダヤの人から裏切り者と
みなされていた自分に目を止め、一緒に過ごそうとしてくださる主イエスを通して、
決して見捨てることのない神の愛を知りました。神の愛を知ったことで、
ザアカイは心から喜ぶと同時に、その生き方が変わりはじめました。
自分の過ちを認め、他者のことを考えるようになります。
 神の大きな愛を知り、それに驚く時に、人は愛する心を持ち始めます。
<いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者と
なりなさい。>(ルカ6:35-35)神の愛をしっかり受けて、それを本当に
喜ぶ者に、主は憐れみの心を生み出してくださいます。愛されたことを喜ぶ者は、
主がおっしゃった<あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、
何も当てにしないで貸しなさい>(同35節)との言葉に応えて、
一歩を踏み出します。