「平和」09.06.21
  エフェソ2:11〜22
 
「あなたがたは、もはや外国人でも寄留者でもなく聖なる民に属するものです。」
聖書は私たちのことをこう言い表します。教会に連なるクリスチャンは、
新しい神の民であり、新しいイスラエルです。
 旧約に描かれている神の民イスラエルは、真に幸せな民です。
それは苦しみがないからではありません。たとえ苦しみにあったとしても、
絶望しなくても良い民だからです。イスラエルは、神の助けと導きによって
カナンに住むようになります。しかし、そこでその土地の人たちの信仰に
迷わされ、神を見失い、神ならぬ偶像に心を惹かれます。神は、
そんなイスラエルの罪に対して罰を与えます。けれども、イスラエルが
悔い改めて神に立ち返ると、イスラエルの罪を赦し、恵みの御手で
守り導いていかれます。士師記には、繰り返し罪を犯すイスラエルの民と、
裁きを与えながらも、ち返るものには繰り返し赦しを与える神の姿が
描かれています。
「お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。お前たちは
人間であり、わたしはお前たちの神である、と主なる神は言われる。」
預言者エゼキエルは、神に背く罪によって国が滅びたイスラエルに対して、
なおこのように語る神の言葉を届けました(エゼキエル34:31)。神は、
ご自分の民を養うことをお止めにはなりません。神とその民との絆は、
民の不確かさにもかかわらず、神の確かさゆえに保持されます。
 私たちは、元々は異邦人でした。ですから、神との恵みの関係に
生きられないものでした。しかし、今や、神の民としていただいています。
主イエスの十字架の血潮は、主イエスを信じる者に大転換をもたらします。
神から遠く離れていた者を、近くにいられるようにします。異邦人であり
日本人である者を、神の民にします。罪人を、義しい人にします。
そして神の家族とし、神に「父よ」と呼びかけられる者とします。
 私たちは、神の民としていただきました。もう絶望しなくて良い民と
していただきました。