「死から命へ」09.06.07
エフェソ2:1〜6
「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
…しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、
その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、
キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせて
くださいました。」と、聖書はわたしたちに語りかけてきます。
「クリスチャンになる前は死んでいた」というのは、どういうことでしょうか。
人は、神に創られた存在ですから、神に心を向けている時に本来の
姿となります。神を礼拝し、神を愛し、神に従い、神に守られ、
神との交わりの中に身を置いていることで、本当の意味で生きるのです。
しかし神との関係が絶たれてしまい、神の願いから的外れ(罪)で、
道を踏み外した(過ち)歩みは、本来の人として生きている姿とは違い、
死んだようなものだと言われるのです。神との関係が破れている時には、
この世のならわし、悪魔的なもの、自分の醜い欲望など、神ならぬものに
振り回されて生きることになります(2‐3節)。そこに本来の生き方は
生まれてはきません。
主イエスは、放蕩息子のたとえをなさいました(ルカ15:11〜)。
家を飛び出した放蕩息子が悔い改めて帰ってきた時、父親は
「死んでいたのに生き返った」と言って喜びます。生活が乱れ、
放蕩生活をしていたから死んでいたと言われるのではありません。
父の下にいなかったから死んでいたといわれるのです。
神は、わたしたちを、死んだ状態のままで放っておかれはしません。
憐れみ豊かな神は、的を外し、道を踏み外す者を、この上なく愛して、
死のままではなく命に生かそうとしてくださいます。そのために、主イエスの
十字架の出来事を起こされました。主イエスの死によって、すべての人の
罪が贖われるという、恵みの出来事を実現してくださいました。
私たちは、この主イエスによって、すでに命に入れられています。
神との深い関係の中で生きています。