「感謝する気持ちがあふれる」 09.04.26
ヨハネ21:1〜14
 
天地の造り主であり全能の神に、クリスチャンは「天の父よ」と呼びかけることが
許されています。人は、神から見れば取るに足らない小さな存在です。しかも、
罪ある存在でした。それにもかかわらず、神はおどろくばかりの恵みによって、
私たちを神の子、神の民として受け入れてくださっています。
ふさわしさなど何も
持ちませんが、ただ恵みによって「父よ」と呼びかけることが許されています。それは、
普通の事ではなく、恵みによる大いなる奇跡の出来事です。
 神の御子である主イエスの十字架を見つめます時に、私たちの罪深さを知らされます。
神の御子が十字架で死ななければならないほどの罪深さが、私たちにはあったという
ことだからです。人間にはどうすることもできないほど、罪による神と私たちの間の溝は深く、
関係が破れていたということだからです。けれども、主イエスの十字架によって、神との間に
横たわっていた深い溝が埋められ、関係が修復されました
。それは、真に大いなる奇跡です。
私たちは、その奇跡の中で生かされています。この幸いに気づかない時には、神に対する
感謝の気持ちも生まれず、神を自分に従わせようとする、幼い信仰のままとどまってしまいます。
 神さまの大いなる恵みに対して、どのように感謝を表していくべきでしょうか。「心を尽くし、
魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と、聖書は教えます。
では、神を愛する
とはどういうことでしょうか。「それは、神さまを礼拝し、他の人を愛し、神さまがお創りになった
ものを大切にすることによってです」
(『子どものためのカテキズム』)と言われます。神さまを
愛する心がなければ、礼拝を最優先にすることもできないでしょう。神さまを愛するからこそ、
自己中心になるのでなく、また自分の好き嫌いでもなく、神がお造りになった人や、世界を
大切にする心が生まれます。

 神を父と呼べる大いなる奇跡を喜び、感謝し、神を愛する歩みを続けてまいりたいのです。