「忠実な歩み」 09.03.29
コリントT 3:18〜4:5
「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます」(5節)
と言われます。主なる神は、私たちの良い所だけでなく、悪いところも見抜かれているという
ことです。義なる神に私の罪を見透かされているということは、恐ろしいことです。裁きを免れない
からです。しかし、私たちは、神の前で恐れながら生きる必要はありません。私たちは、
自分が神に義と認められるのは、自分の正しさによるのではなく、主イエスによることを
知っているからです。
主イエスは、私たちの罪をすべて背負い、私たちに代わって十字架の上で死なれました。
主イエスは神の御子としての御力を、すべての罪人の罪を代わりに担うということのために
発揮されました。当時主イエスの周りにいた人たちだけでなく、後の時代の人々も、そしてここに
集う私たち一人一人の罪を担うという、大きな業を成し遂げられました。まさに神の御子に
しかできない大いなる出来事です。私たちは自分の罪深さを知っていますから、自分の姿を
見ているだけであれば神の裁きを恐れるしかありません。しかし、主イエスの十字架ゆえに、
恐れる必要はないのです。聖書は、主イエスの十字架を信じる教会の私たちに「おのおのは
神からおほめにあずかります」(5節)と語りかけてきます。神は、私たちの姿を十字架を通して
ご覧になります。罪も失敗も取り除かれた者ですから、断罪ではなくお褒めにあずかるのです。
私たちはキリストに仕える者として歩みます。主イエスは、大いなる出来事である十字架の
恵みを宣べ伝える務めを、私たちに託しておられます。私たちを信頼してくださるからです。
十字架を指し示し、伝道する歩みをして欲しいと願っておられるからです。自分の教会生活の中で、
伝道に仕える場所を見出してください。そして、お褒めにあずかる時を楽しみにしながら、
おのおの主イエスに忠実に仕える歩みを進めていただきたいと思います。