「わたしがいるのだから」09.03.01
ヨハネ 18:1〜11
ユダに率いられた人々に捕らえられる際、主イエスは「わたしである」と
繰り返しおっしゃいました。それは、神がモーセにおっしゃった神ご自身の
お名前でした(出エジ3章)。主イエスは、主なる神としてそこに立っておられました。
主イエスの前には、一隊(600人)の兵隊がいたとありますが、それは巨大な力を
あらわすものです。そしてその先頭にいるのは、サタンが入ったユダ
です(ヨハネ13:27)。主なる神としてご自身をあらわにされた主イエスは、この時、この世
の支配者と向き合っているというよりも、サタンに率いられた大きな力に向き合って
おられます。その相手は、神から人を引き離そうとする力です。人を滅びにいざなう
罪の力です。しかし、「わたしである」との言葉を聞いて、相手は後ずさりして倒れました。
主イエスは、神の御力によって、それらを打ち倒す方だからです。
このあと、主イエスは捕らえられ、十字架にかけられます。それは、一見しますと敗北に
見えますが、そうではありません。ご自分を罪の贖いの犠牲とし、すべての人に罪と死からの
自由を与えるためです。十字架は、人を罪に縛り付け、神と断絶させようとするサタンの思惑を
台無しにしてしまうものです。そのような主イエスを前にしたときに、サタンの力は後ずさりし、
倒れるしかありませんでした。
主は、サタンの力と弟子たちの間に立ち、弟子たちをかばうようにしておられます。主イエスに
従う者を一人も失わない(滅びない)ようにしておられます。主イエスは、私たちを、罪によって
神の恵みの御手から失われないようにしてくださいます。罪人として滅びてしまうことのない
ようにしてくださいます。そのために、十字架に向かって進んでおられるのです。
わたしたちが目を注ぐべきは、自分の弱さでなく、闇の力の強さでもなく、「わたしである。
わたしが確かにいるのだから。」とおっしゃる主イエスであります。