「永遠の命を与える」09.02.08
ヨハネ17:1〜26
主イエスは、ご自分が次の日には十字架にかかって死ぬことを、
よくご存知でした。あざけりを受けながら、悲惨な死を迎えることを
ご存知でした。その死を目前にしながら、主イエスは、死の先を
見据えておられました。十字架の死によってもたらされる喜びを
見据えておられます。ですから、死を目前にした祈りにおいても、
怯えはありません。17章は、十字架によって顕わにされる栄光に
心を注いだ祈りの言葉です。
「行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上で
あなたの栄光を現しました」と主は祈っておられます。これまで
行ってこられた業の数々のことだけではありません。この後、
主イエスは十字架の上で「成し遂げられた」とおっしゃって息を
引き取られます。主イエスが成し遂げるべき最大の事柄は、
命を賭して行う十字架の死でありました。主イエスの十字架の死は、
すべての人の罪を取り除くために、すべての人に代わってその罪を
担って死んでいく、犠牲の小羊としての死です。その死こそが、
神が主イエスに行うようにと与えてくださった業です。主イエスは、
救いをもたらす大きな出来事が、今まさに成し遂げられようとしている
ことを見据えておられます。
「子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることが
できるのです」とおっしゃいます。ご自分の十字架の死によって、そのことが
実現します。人は、罪人のままでは、神の国に入れません。永遠の命を
得られません。しかし、主イエスの十字架を信じて罪赦された者は、
神の国での永遠の命を受けます。主イエスは、その時がもう目の
前に来ていることを喜びながら、この祈りをしておられます。
永遠の命とは、神と主イエスを知ることです(3節)。「知る」とは、
頭で知ることではなく、深い関係、結びつきになるということです。
それは、死やどんなものによっても決して断絶させられることのない関係です。
十字架によって罪赦された私たちは、決して妨げられることのない
「知る」関係に入れられています。