「キリストの友とされて」  09.01.04
                    ヨハネ福音書 15:11〜17
 
「あなた方を愛してきた」(9節)と、主イエスは私たちひとりひとりに
語りかけます。わたしたちは、自分が気付く前から主イエスから愛を
注がれ続けてきました。
 その主イエスが「互いに愛し合いなさい」とおっしゃいます(12節)。
 主イエスは、「神を愛すること」と「隣人を自分のように愛すること」
をもっとも大事な掟とおっしゃいました。「良いサマリア人のたとえ」
のように、私たちも隣人になれる者でありたいと思います。しかし、
この場面は、そのような隣人愛の勧めというよりも、主イエスの前に
いるもの同士が愛し合うことが求められています。この時「互いに」と
言われているのは、弟子たちでありました。
 弟子たちが、互いに愛し合うことは簡単なことだったでしょうか。兄弟
であるなどして元々親しかった者もおりましたが、その生い立ちは様々
です。元徴税人と元熱心党員が一緒にいるのは不思議なことです。
ケンカばかりではないでしょうが、主イエスを抜きにすれば共通点の
ない者同士がいたのです。考え方も性格も違います。そもそも、一緒に
いたいと求めた相手ではありません。ひとりひとりの共通点は、それぞれ
が主イエスに愛されているということです。主イエスは、弟子たちとの最後の夜に
「私はあなたも、あなたの隣の人も愛している。だから、あなたも
隣の人を愛しなさい」とおっしゃいました。教会もそのような面があります。

仲の良い者が集っているのではありません。話が合うからではなく、
主イエスに愛されている者同士という点で、ひとつになります。そして、
主が愛しておられる相手同士だからこそ、互いに愛し合うことがなされて
いきます。主イエスの前で互いに愛し、祈り、尊重しあう交わりが、
教会の力となります。

 主イエスは、出て行って実を結ぶようにとおっしゃいます(16節)。伝道し、
救いの実を結ぶのです。
 日本伝道150年の年を迎えました。人の救われることを自分の喜び
とする歩みを、進めてまいりましょう。