「国と力と栄え」 09.1.25.
ヨハネ黙示録4:1〜11
「主の祈り」の最後は、「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」との
言葉です。国、力、栄は、世界に影響を与え、世界を根底から支配し治めて
いる大きな力です。そして、「そのような力をお持ちなのはあなたです」との
信仰を告白する言葉が、主の祈りの結びなのです。
ヨハネ黙示録の時代は、初期の教会が迫害などの困難に直面していた
時代です。その時代、ローマ帝国という巨大な国があり、ローマの皇帝は
神のように思われました。国と力と栄はローマのものと思えたでしょう。
クリスチャンが生きている現実は、厳しいものであったでしょう。信仰ゆえの
ことだけでなく、普通に生きていくのも、今とは比べ物にならないほど厳しい
時代です。目の前の事柄に心を奪われることがあったに違いありません。
そんな人たちに、黙示録は天上でなされている礼拝を示します。地上が
どうであれ、天上では確かに神の栄光がほめたたえられる礼拝がなされて
いるのです。そして、栄光と誉れと力を受けるのは神しかいないと告げます。
それを知らされ人々は、慰められました。地上でなく、天井に心を向けることで、
地上の歩みを止めることなく、進める力を得ていきました。私たちも、目の前の
見える出来事だけに心を奪われません。「国と力と栄とは限りなく主のもの」
と信じています。この世の闇ではなく、天の光に目を注ぎながら、
歩みを進めるのです。
国と力と栄を神から取り上げて、自分のものにしようとする誘惑に襲われる
ことがあります。自分を神にしてしまうのです。そこには、健やかな人としての
生き方はありません。神によって存在するものとなった自分であることを受け止め、
国と力と栄をお持ちの神さまの恵みのみ手に身を委ねるときに、健やかさが
生まれてきます。主なる神に導かれ、生かされている平安と喜びの中で過ごす
からです。自分が神となって生きる生き方は苦しいのです。しかし、真の神に
生かされていることを知ると、平安と喜びが生まれます。