「国籍は天にある」 09.01.11
  ヨハネ福音書 15:18〜27
 
「あなたがたは世に属していない」と主イエスはおっしゃいます。
主イエスは、私たちを、世ではなくご自分に属するものとしてくださった
からです。
クリスチャンは、主に属し、天に国籍を置く神の民としていただいています。
 天に国籍を置くゆえに、この世では旅人として生きる一面を持ちます。
地上ではよそ者であり借り住まいの者です(ヘブライ11:13)。この地上での
生活がすべてではないと知って生きます。天の故郷を熱望し、それを楽しみにし、
そこに入る時の備えをしながら生きるのです。それは、天の故郷を見ない者の
生活とはおのずと違いが生じます。
 主イエスは「地上に富を積んではならない。富は、天に積みなさい」と
おっしゃいました(マタイ6:19-20)。天の故郷を熱望する者は、地上の事柄だけを
大事にするのではありません。家庭、職業、あるいは自分のことなど、地上での
生活で心を配るべきものはたくさんあります。しかし、天のことを心にとめる私たち
には、地上の事柄を脇において、神さまのために時や力を用い、神さまのために
献身し奉仕することが生まれてきます。
それは、地上のことしか見ていない者から
すると、不思議に思えることなのでしょう。
 天を見据えて生きる生き方によって、地上での足取りが悪くなることはありません。
エジプトを脱出したイスラエルの民が約束の地に入ろうとしたとき、民の前にヨルダン川
が立ちふさがりました。その川を渡る際、ヨシュアは告げます。
「自分自身を聖別せよ。」
自分自身をこの世から切り離して神さまに属するものとするということであり、それは、
神の民であることの自覚を持つということでもあります。
この自覚が、川という困難を
渡る力となりました。神の民であることの自覚は、神さまに信頼して生きられることの
確信を生みます。私たちもその自覚を持って、この地上の歩みを雄々しく進めていく
のです。そのためにも天の故郷をしっかり見据えてまいりましょう。